20 Mar 2017

たまには釣のはなしでも



つりのはなしでも などとぶちあげてはみたが、、、




これが あらためてつりのはなしとなると かなり難しい

難しいはなしは苦手なので さてどうしたものか



そういえば 最近ぱらぱらと飛ばし読んだ本に気になる見出しがあった
なので それについて少々言葉尻をつついてみようかと

それは古い本で 副題には毛鉤釣のすべてとあった
ご察しの通り それは指南書のような書籍で
ワタシの想いで話に度々登場する ”釣を止した友人” が店に置いていった多くの本の中の一冊といったところです

その本をひまな時間に(いつでも暇なのである)ぺらぺらと ただただぺらぺらとしている時
たまたまその ぺらぺら だか ぱらぱら だかがとまり そこに件の見出しがあったという訳です

それは巻末のほうにあって 本編とは別にあるコラム記事のような章でした

さて その前に本編の中身のほうですが
先ずは出だしにてんからのすすめなる大題からはじまり
次にてんからの道具
、、毛鉤の構造としくみ
、、毛鉤を巻く道具類
、、巻き方
そして 渓流魚の視覚からみた毛鉤論
終いのほうにてんからの難関と続いおります



ここで一言断っておきましょう
こと詳しく編成等を列挙しておきながら本当に申し訳ないのですが
実はこの本編とも言える この各章についての殆どは読んおりません

なんだ 読んでないのか? と思われたかもしれませんが
もちろんそう思われるのはもっともです 釣りをする方ならなおさらかと

ではなぜ読んでいない(読まない)のか
理由はいろいろありますが 分かりやすく簡潔に説明すると
ひとつに 教科書的な読物が苦手である
ふたつめに 遊び方を誰かに指図されるのが我慢ならない
とまあそんな他愛のない子供じみた反抗心があって
それがワタシの読まず嫌いを増長させているにすぎません
ですので これについてはどうかお気になさらずに願います

もし世の中に 
”先ずは好きにしなさい”
釣れればそれが正解だから その調子で気ままに往けばいい
でも 釣れなかったら、、、さあどうするかね 読んでみるかね

そんな書き出しの本が一冊でもあったら良かったのになと ふとそんなことを考えます

もしそんな書籍との出会いがあったなら
きっとワタシもこんなひねくれ者には成っていなかったと思うのです
ですので こうなったのは 全ては世はびこる”あーしろこーしろ本”のせいなんですね



すっかり話が逸れましたので
強引にはじめへ戻します、、、、暇でやることもなく という話でしたか

ならば 手に取る本などはなんでもよかったとなりましょう
しかしながら 少しばかりではありますが
あの頃の(むかしの)書籍には はて どんな事が書かれていたのかなと
ほんの少しだけですが 気になった事は確かであって
暇だけがその理由の全てではなく 加えて少しばかりの好奇心があった事も事実であります

暇と好奇心が働いた経緯としてはこうです
---- たまたま(暇は毎度である)手に取った本がこの本だった ---
---- たまたま 屁理屈とか さよなら とかいう言葉が目にとまった ---
本当に偶然に中をめくっていたらこの言葉が目にとまっただけで
そしたら この本が たまたまてんからの本だったっという訳なのですよ



さて ”ワタシが気になったお題目” についてですが

二つほどあありました

ひとつ目は テンカラ釣の屁理屈
先ず テンカラ です 本の大題はひらがなですがこちらはカタカナです
別にケチ付けてるんじゃないですよ
ワタシなど 度々ひらがなとカタカナを混ぜこぜで使ったりもします
酷い時など メモ書きがひらがなとカタカナが入り混じっていたりましす
例えば 買い物メモで 味噌 さトウ がんもどき ギゅうニュう とかそんな感じです
関係ないですね 先へ進みましょう

屁理屈の話でした
こちらはタイトルからして釣行記ではない事が想像できました なので読みました
(自慢話満載の釣行記は読みません どれだけ釣れたかには興味がわかないので)
話の内容ですが とある釣行での出来事を境に釣から遠ざかった筆者
可なりの年月が経ち ふと思います 峪を歩けるうちに再び棹を振ってみようかと
そんな筆者の元へ 頃合い宜しく 素石師匠から釣の誘いが、、、そして
話はそこで終わるのです 

文中 自身が今心血をそそいでいるこの釣こそが”粋”である 他の釣法など、、
そこまで思い上がったていた と冷静に振り返るくだりがありました
なかなかこういった事を自ら認めて反省出来る方はいませんが
この方は正直にそれを書かれていて そんなところになんとなく安心感を覚えました
このような釣にまつわる”こころもち”を 面白おかしいかは別にして綴った物が好きです
そしてなによりも 何処か陰陰とした気配が感じられるのが好みの展開でした

ここで”陰”が好みだとか云うとまたもや誤解されそうですね 暗い奴め、、とか
しかしそんな誤解を解く上手い説明ができませんので ここでは下手な釈明は省きましょう

タイトルにある肝心のテンカラ釣の屁理屈ですが
最初のほうで軽く屁理屈が捏ねられいましたね それくらいでしょうか ここで云われてた屁理屈に対する感想は
それよりも 思い上がっていたと云う件や
夜に火を囲んでいるとき 自身の釣を同行の者に褒められた場面
それがある出来事なんですが そこがなんとも切ない感じで印象深かったですね



ふたつ目は さよなら「フライフィシング」こんにちは「てんからフィシング」

”さよならアメリカさよならにっぽん” と似たようなタイトルに魅かれてついつい読んじゃいましたが
こちら ハッピーエンドには程遠いものでした
ほんと 曲名みたいなお題に引きに寄せられた自分が情けなかったです

筆者はフライ釣の経験が長かったが
どうやらその長期に渡るフライ経験中 残念な事に良い思い出となる釣がなかったようでした
冒頭にある釣行を期に これまでやってきたフライを止めた事に始まり
引き換えに新しく始めた釣法の素晴らしさに気づく
続けて話は両者の対比へと そして道具だての話へと、、、

それにしてもですよ
長らく続けていたフライ釣の時代には 嫌な事ばかり それだけだったのでしょうか
間違いなく楽しい想いでだってあっただろうと思われますが
ここでは そのあった筈であろう幸せの瞬間については微塵も触れられていません
(やっぱりなかったんですかね)

文中からは それ(フライ釣)に対する得も言われぬ思いが伝わってきました
中でも色付きのプラスティックラインには嫌悪感すらお持ちのようで
テンカラ釣に転向しなさってからも フライラインをみちかく切って”三回”使ったそうですが
結局 それっきり使わなくなったと記してありました
そして今では 峪で誰かが色付きラインを使っているのを遠目に見るのさえも許せないそうです
(他人のさまは別として 地味な色のを使っていれば済んだのにと思いましたが これは余計なお世話でしょうか)

読みはじめて直ぐは ”、、の屁理屈” と本文が入れ替わって印刷されたのか?と思うほどの屁理屈にはじまり
(実は 後に載っている”屁理屈”を先に読んでいて その後こちらを読みました)
次第に現行釣法と過去の釣法との比較 それから自身の仕掛けについて
そして過去にとった手段への決別へ進みます

以下 当店所蔵の本からの抜粋

--- フライのようなライン操作の決まり事が無いから余計な気を使わない
       その分テンカラの方が楽しく おおらかな釣が出来た、、、 ---
(何方の釣でも 操れさえすれば良いわけで 決まりを守る必要はないと思うんですが)

ふと こういった比較は面白いかなと思ったんですが
なんとなく嫌な予感がしたので 一度は読むのをやめようかと思ったんです
しかし乗りかかった船とは良く言ったもので
もしかすると この両方の釣経験を元に 何か面白い話が聞けるのかと思い先へすすみました
が どうやら乗る船を間違えたようです

この話は ワタシの想いとは裏腹に それ程楽しい話には発展しませんでした
おそらくこの釣法の転向に関していうと 当然ですが真剣そのものだったようです
そこへ至った心情が最後の一文でハッキリと書かれています 強烈です

再び 当店所蔵の本からの抜粋

”世の「釣れない」フライマンよ、魚が釣りたければ、遠慮なくテンカラに転向されよ!”

なるほど、、、、これは筆者にとってはハッピーエンドだったんでしょう?!



この二編を読んでみて面白かったのが
同じ釣になのに こうも考え方というものには違いがあると云う点でしょうか
それについては読んでみて良かったような気がしています

前出の”テンカラ釣の屁理屈”の筆者の方は
思い上がっていた自分の事(釣)を後になって冷静に分析していますが
後者の方は違いました
やっぱりオレのとった方法が正しいのだ とそう取れました(少し悪くとりすぎかもしれませんが)
こういった考え方の人に時々遭遇しますが(ワタシを含め)正直良い気はしませんね
ただこれは本の構成上必要だった一編だったのかもしれません そう思う事にしましょう

最後になりますが
いずれの文章も偶然目にとまった それが縁で出逢った訳です
そして このいずれの文章も三十年ほども前に書かれた物です
更に この本がうちの店に置かれてから既に数年は経っています
これだけの事からも それ程縁遠かった一冊だったという事でしょう
それをふとした切っ掛け(持て余した暇)で目を通す事になったのです

経緯はどうあれ 偶然にもその縁のなかった読物を今こうして手にすることになった
(ワタシ自身何方の釣も経験しているという意味では全くの無縁とは言えませんが)
なんとまあ不思議なもんですね 縁というものは

(2017 のある暇な日に)
もしかするとこれは 三度転向の機会が訪れた? という事なのでしょうか、、、

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